Elementor #453

坪井監督の制作手記

この映画の約90%は私と向の実話です

この映画は2016年を背景に、私の主宰し監督を務めていた軟式野球チーム「Minors」に向が来てから、チームのメンバーになり、そこから紆余曲折があって野球YouTuber向として活躍していく話に基づいています。

私は現在56歳。野球は40歳から始めたので野球歴は約17年。その年から毎年200試合以上をこなし、野球YouTuber向を作り現在に至っています。なぜ、そんなに野球にのめりこんでしまったのかは、映画の中で描いていますので割愛しますが、まずは、メジャーリーガーでもあるまいし一般の社会人がなぜ毎年200試合できたのかというところから話しましょう。

野球は9人同士でやるスポーツ。なので、野球をやろうとしたらまず最初にぶつかる困難は9人のメンバーをそろえることです。かつては学生時の仲間や会社の仲間を集めてやられていたので、なかなか9人集めて試合となると難しかったのですが、現在はインターネットの普及し、9人揃わなくてもネットで助っ人を募集すれば9人は簡単にそろうし、東京では20年以上前からすでに毎週試合をこなすことが可能な時代になっていました。

私の場合は、仕事仲間となんとなくやったキャッチボールが楽しくて、それをきっかけに本格的に野球をやろうと、検索したのが始まりで、その募集サイトというのが草野球人が誰でも知っている

「草野球公園3番地」でした。

このサイトは20年以上と前から存在しているサイトで、私が閲覧した時にはすでに多数の助っ人募集があり、いつでも試合に参加できる状態でした。

このサイト、実際にどのようにエントリーするかというと、例えば土日、都内では十数か所以上の助っ人募集が応募されていて、応募するには場所と時間と各球場の移動時間を加味して、エントリーしていきます。私の場合はバイクで移動できたので、都内であれば端から端まで1時間以内で移動が完結するので、例えば午前中2試合、午後2試合、ナイター1試合といいった具合で、時間を埋めていくと、最低でも1日3試合は必ず組めます。さらに一つのグランドでダブルとかトリプルの試合が組まれていれば、移動時間が無くなるので、うまくはまれば1日5試合、マックス6試合を組むことができます。

当時は40代前半はまだ体が動きましたので、1日5試合は何とか可能でしたし、4試合ぐらいなら楽勝でした。そんな具合で試合数を計算すると、単純計算しても土日で6試合、1年54週間ならMax324試合が可能で、だいたい雨とかで試合が流れて200試合前後になるという計算です。

とはいえ、野球って1日に何試合もできるスポーツなのか?実はそれが可能なスポーツです。助っ人の場合はほとんどが練習試合など勝ち負けに左右しない試合なので、助っ人先には申し訳ないですが、常に全力プレーをしなければ体力が失われません。

ですが、公式戦ともなると、常に集中し、全力プレーを心がけるので1日1試合が限界になります。野球というスポーツはそういったメリハリの利いたスポーツなので、幅広い年齢層の方々がプレイしてるのでしょう。もちろん競技人口は日本では一番多いスポーツです。

そうやって試合をこなしていくうちに、もともと未経験者の私ですから、40から始めても伸びしろがあります。だんだんうまくなって野球が楽しくなっていきます。特にバッティングは大好きで、始めたころ毎年バッティングセンターに100万円ぐらいを費やし、総額でも高級車が買えたぐらいバッセンにかよっていました。それに加えて毎日素振り、自分は動画クリエーターなので編集ソフトを使った動画解析は得意中の得意。常に自分を撮影し、あこがれの落合選手の映像と何が違うのか常に見比べ研究していました。気が付いたら朝までバットを振っていたこともあります。なので野球を始めて1.2年はいつも手がボロボロ。当時はテレビのレギュラーで仕事も順調だったので、仕事以外のすべての時間を野球に費やしていました。

なんでこんなに野球をやり続けたのか?それは野球人すべてが願う思い。ホームランを打ちたかったからです。毎週末にホームランを狙って何試合もこなし、それがうまくいったり、いかなかったりを繰り返すと、試合の無いウイークデーはその原因を追究、そしてバッセンに通ってひたすら打ちまくるという繰り返し。ものすごい情熱を傾けていました。

今考えると、その情熱を映画製作で燃やせよ!ってつくづく思いますが、当時ではできなっかったことだと思います。

そんなことを繰り返していくうちに、私の周りにはいつの間にか実力のある野球経験者が集まってきて、そのメンバーでチームを作り、勝ち負けでひりひりする公式戦にでるとその緊張感がたまらなく楽しくなり、都内でも上位を狙える強豪チームを作り上げていました。

チームには甲子園経験者や大学リーグMVP、独立リーグ出身者などがいて、私は彼らから野球で勝つすべを教わり、いつの間にかチームの運営者兼監督になっていました。40代は仕事を掘ったら市にして、軟式野球にすべてをかけた人生だったといっても過言ではありません。

そんなところに例の「草野球公園三番地」で応募してきたのが向でした。

強豪高校出身者が集まっている我がチームにあっても向の実力は負けていません。それだけの実力がありました。ある一点を除いて・・・・。

向は公式戦の本番に弱かった。公式戦になると本来の実力が出せず、エラーを連発。バッティングも普段とは違う力みが生じて、まったく打てない。

それでも、良いキャラクターを持っていたので、盛り上げ役ということでチームをけん引していました。私はそんな向が好きだった。

そこで私は、当時、話題沸騰してきたヒカキンなどのユーチューバーに目をつけ、向にはその資質があると見込んだで、向をユーチューバーに仕立て上げました。

当時のネット検索はSEO対策もゆるく、「ユーチューバー」での検索では難しいが、「野球ユーチューバー」というワンワードを作くり、ブログやツイッターフェイスブックなどと連携すると、すぐに検索上位になりました。現在もその効果は生きていて「野球YouTuber」と検索すると「向」が検索のトップになります。

そんないきさつで野球YouTuber向を誕生させた私は、向をヒカキンのようなメジャーどころへ押し上げて世間をあっと言わせようという浅はかな夢を抱いていました・・・・。

ところが、その後、肝心の向とは人間関係がうまくいかず袂を分けることになったのです。この先の話はすべて映画のストーリーに反映させていますので劇場でご確認ください。

こんな感じで野球YouTuber向は私が作ったのだが、現在の様にチャンネル登録者を伸ばし、有名になったのは、すべて向自身の根気と努力だと言っても過言でありません。

とはいえ、私のコントロール下ではないところで向が有名になっていくのがたまらなく悔しかった。当時痛感したのはYouTubeは映像のプロがクオリティ高く作っても、全く通用しない。ところが向本人が何の気なしに、自分の趣味の世界を描けば、クオリティーなど関係なくファンは増えていきました。この事実は、YouTubeに夢を見た映像家の末路ででした。

そんな中、追い打ちするように世の中はコロナ過になっていきました。私の仕事は、じり貧で生活もままならない状態になりかけていました。そんな時、文化庁の「Arts for the Future」という映像家を助成システムが登場してきたです。私はそれで助けられました。映像だけではなく、様々なジャンルに手を出していたおかげで、面倒くさい申請ごとには苦も無くこなした私は、助成金ハンターのような仕事をこなしていました。

その集大成として「Arts for the Future2」の補助金を使った映画に挑戦できました。映画の企画は40代のすべてを費やした軟式野球を何とか映画にできないものかと模索し、、、、。
そして何年も連絡を取ってなかった向に連絡してみました。
その数か月後、やっと向と連絡が取れ、そこで、私は思い切って「野球YouTuber向」を題材に映画にさせてほしいと頼んだのです。
向は今までのわだかまりもあったと思いますが、快く承諾してくれて、「野球ユーチューバー有矢」がスタートしました。

私にとって野球は人生の一部。野球を題材にする映画だから、今までの実写化された野球ドラマや映画のように、野球をないがしろにした野球をちゃんと見せれないような映画にしたくなかった。
とはいえ、有名な役者に野球のうまいやつはそうそういないし、今回の予算にははまらない。当然、有名人を使わないと映画興行は成り立たない。企画段階ではそのジレンマと戦っていました。

結局、趣味の世界で映画を作りました!で、終わってしまう企画になりかねない。私にとってこの企画は、野球Youtuber向に対してのリベンジでもあったので、野球をしっかり見せれないものを作れば向へのリベンジのリの字にもならないのは明白でした。

そこで、私は十数年もかけた野球への思いに掛けてみた。私のやってきた野球はいったい何だったのか?そこには野球で出会った大切な仲間たちがいる。彼らの期待に応えられる映画を作れば、彼らはいずれこの映画を応援してくれて野球人のなかで拡散していく。それが現実になれば、チャンネル登録者の多い向にも負けない、リベンジすることができるだけではなく、40代のすべてを野球に費やした意味が見えてくるし、軟式野球への恩返しができると信じました。

この映画は有名な俳優陣は出ていませんが、野球経験者の実力で配役を決定しています。普通、映画といえば、芝居を見せたいはずなのに、私は野球を見せようというポリシーの元でこの映画を作り上げたました。去年の10月末から長野、刈谷、博多と劇場を渡り歩いて、実際に手ごたえはあります。
といっても、映画が成功するのか失敗するのか、答えはまだ出ていません。

ただ一つ言えることは、野球人口の大半を占める東京圏の「横浜ムービル」で、キャパ500席の映画館を、マイナーな私たちの映画で満席にすることができれば、まずは、この映画を成功への架け橋を渡せたと考えてもいいのではと思っています。

今回の「ムービル」公開。
劇場に足を運んでくれるほとんどが、野球好きかプレイヤーだと思います。私たちのこの思いが彼らに届くことがあれば、きっと映画館は満席になるち信じています。

今回は、とりあえず、そんな思いを込めてこの手記のペンを置こうと思います。